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浄土宗について

浄土宗

正行寺は浄土宗の寺です。浄土宗は、法然上人(法然房源空)を宗祖と仰いでいる宗旨です。

法然上人は、今から約860年前(1133)に現在の岡山県(当時の美作の国)にお誕生になりました。
幼少にして父を失い、それを機会に父の教えのままに出家して京都(滋賀)の比叡山にのぼって勉学し、当時の仏教・学問のすべてを修した後、ただひたすらに仏に帰依すれば必ず救われる。
すなわち南無阿弥陀仏を口に出してとなえれば、必ず仏の救済をうけて平和な毎日を送り、お浄土に生まれることができる、という他力の教えをひろめられました。

当時の旧仏教の中でこの新しい教えを打ち出されただけに、いろいろな苦難がつづきました。
貴族だけの仏教を大衆のために、というこの教えは、日本中にひろまり、皇室・貴族をはじめとして、広く一般民衆にいたるまで、このみちびきによって救われたのでした。

法然上人は、どこにいても、なにをしていても南無阿弥陀仏をとなえよ、とすすめておられます。南無阿弥陀仏と口にとなえて仕事をしなさい、その仏の御名のなかに生活しなさい、と教えられています。
こうした教えがひろまるにつれて、それが新しい宗教であったため、いろいろなことで迫害をうけました。そのときでも、法然上人はこの教えだけは絶対やめませんという固い決意をあらわしておられます。また、亡くなるときにも、私が死んでも墓を建てなくてもよろしい、南無阿弥陀仏をとなえるところには必ず私がいるのですといって、その強い信念を示されました。
現在、その遺言とは反対にお寺がたくさんできたということは、いかに法然上人の教えがわれわれ民衆と共にあって、その教えを慕わずにおられなかったか、という心のあらわれであります。
南無阿弥陀仏の御名は、すぐ口に出してとなえられます。できるだけたくさん口に出してとなえるほど、私たちは仏の願いに近づくことになるのです。すると私たちはすなおな心になり、今日の生活に必ず光がさし込んできて、いきいきとした、そして、平和な暮らしができるようになります。それは明日の生活にもつづいて、日暮らしの上に立派な花を咲かせてくれます。
法然上人の教えは、今生きることによろこびを感じることであります。 念仏をとなえながら、充実した日々をお過ごしください。

私たちの宗旨

宗旨:西方極楽浄土の教主、阿弥陀佛を心の拠り所とし、西方極楽浄土に往き生まれることを願い南無阿弥陀佛と念佛をお称えし、日々を明るく正しく仲良く元気に暮らすことを宗旨とする宗派です。
名称:浄土宗
宗祖:法然上人(1133〜1212)
総本山:知恩院
六大本山:東京:増上寺 鎌倉:光明寺 長野:善光寺 京都:知恩寺・清浄華院・金戒光明寺 九州・久留米:善導寺
開宗:承安5年(1175)今から約840年前
本尊:阿弥陀仏・阿弥陀如来
教え:阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。
お経:お釈迦さまがお説きになった『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三部経をよりどころとします。

法然上人について

法然上人

法然上人がお説きのみ教えは、厳しい修行を経た者や財力のある者だけが救われるという教えが主流であった当時の仏教諸宗とは全く違ったものでした。『観無量寿経』の一節「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」のこころを説き、私たちにお示しくださったのです。
 「南無阿弥陀仏」と称えればみな平等に救われる……。
法然上人のみ教えは貴族や武士だけでなく、老若男女を問わずすべての人々から衝撃と感動をもって受け入れられ、800年を経た今日も、そのみ教えは多くの人々の「心のよりどころ」となっているのです。

名前 法然房源空(ほうねんぼうげんぐう)
幼名 勢至丸(せいしまる)長承2年(1133) 4月 7日生
長承2年(1133) 4月 父漆間時国 母秦氏、美作国久米南条稲岡庄に生まれる
保延7年(1141) 父 漆間時国明石定明の夜襲により没 出家 9才
天養2年(1145) 比叡山に登る13才
久安3年(1147) 西塔北谷の持宝房源光について受学し戒壇院で戒をさずかり出家 15歳
久安6年(1150) 西塔黒谷の慈眼房叡空に師事
持宝房源光の源と慈眼房叡空の空をとって、法然房源空と改名 18才
承安5年(1175) 阿弥陀仏の本願の真意感得 浄土宗を開く 43才
文治2年(1186) 南都北嶺の僧達と洛北大原勝林院にて問答 大原談義 54才
建永2年(1207) 四国に配流
建暦元年(1211) 京都に召還
建暦2年(1212) 一枚起請文著わす
建暦2年(1212) 没 80才

念仏の意味

念仏とは仏を念ずることであり、その念には次の三つの義がある。

その一

第一には、およそ経典に出てくる念仏の多くは仏を憶念することを 意味します。
とくに古い経典にでてくる三念、五念、十念などはこれに属します。

その二

第二には、仏の相好等を見ることで見仏、観仏、観念といいます。

その三

第三には、仏の名を 称(とな) えること即ち称名で、浄土宗でお念仏という場合は、この阿弥陀仏の名号を口に 称(とな) えることと、法然上人はその著『選択本願念仏集』にお示しになっています。

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